こんにちは、「日本一親切なFX投資コンサルタント」の榊原と申します^^
現在は投資コンサルタントして、主にFXを自分自身でもトレードを行いつつ、FXで利益を上げたい人にお教えする活動をしています。
東京渋谷の会議室で行った時の講義風景です
最近ではZoomでの講義がメインです
わたくしの情報を少し^^
榊原の情報
◆1979年8月17日生まれ
◆三重県出身 現在は埼玉県在住
◆37歳で結婚。新婚旅行で念願のモルジブ、ドバイに!
◆子供は息子が2人います。2019年生まれ、2022年生まれ。
◆性格 真面目、誠実(を心がけていますww)、子供によく好かれます、髪が伸びてくるとサリーちゃんのパパになる
◆趣味 スポーツ観戦、銭湯・スパ巡り(少し前まで銭湯交流会を主催していた)、お笑い番組(特にアメトーーク)
◆好きなもの ゲーム(小さい頃はゲームオタクだった)、お風呂(銭湯・スパ)
◆苦手なもの 高圧的な人、納豆
◆現在の使命 息子たちに「人生は最高に楽しいものだよ」と身をもって示すこと!
ちょっと長いですが、以下にプロフィールを掲載しております。
失敗だらけの人生ですが、よろしければ最後までお読みいただければ大変嬉しいですm(_ _)m
わたしの経歴
貴乃花と呼ばれていた小学校時代
小学校の頃のわたしは縦に伸びるより、横に広がっていってしまい、いわゆる太っちょでした。
顔は真ん丸でお腹もまるっとしていました。
そしてそのころのあだ名は「貴乃花」でした^^;
バナナマンの日村さんが子供の頃の貴乃花の真似をしている時期があったと思いますww
(お笑い好きの方なら知っている人もいるはず)
まさにあの時の貴乃花にそっくりな小学生でした。
習い事はそれなりさせてもらっていました。
・習字
・そろばん
・スイミング
・進研ゼミ(習い事ではない??)
・・・
習字ではいちおう「特待生」という段よりも上のクラスを取得していましたが、実際の字はめちゃめちゃ下手くそです^^;
(恥ずかしすぎて、なるべく直筆じゃなくても済む方法で物事を進めています(笑))
そろばんも3級を取得した程度でどちらかというとあまり長続きしませんでした。
その中で一番続いたのはサッカーでした。
(小学校3年から、中学、高校と続けていました)
ただ当初、わたしはサッカーではなく野球がしたかったんです。
わたしには2つ下の弟がいるのですが、わたしが野球で弟がサッカーをしたいと言っていました。
ただここで問題が発生します。
サッカーも野球もそうなのですが、少年団に入ると土日や普段の練習などで親がどうしても駆り出されてしまいます。
別々に少年団に入ってしまうと物理的に予定が難しかったため、どちらか1つに絞らざるを得ない状況でした。
そこで結果として、弟が本当に入りたいと望んでいたサッカーをやることになりました。
(今思えばその選択は間違っていなかったと思います^^)
サッカーでは、わたしはキーパーをしていました。
たて(身長)はそれほど長くなかったですが、横に幅を利かせていたわたしにとって、キーパーというポジションは存在感を一気に高められる最高の場所でした(笑)
写真左下の赤いユニフォームを着てます^^
まあ、太っていたからというよりは、わたし自身がキーパーに憧れているところがあってやりだした感じですかね。
なんか、キーパーって11人いる中ですごく特別な存在に当時は見えたんですよね!
そんな憧れがあって、自分もやってみたいと思ったように記憶しています。
学校生活では各学年で学級員をやったり、児童会に立候補したりとどちらかという目立っていた方かもしれません。
勉強は中の上といった感じでしたが、体育が得意で一番好きな科目でした。
いうまでもなく、1年で一番好きな日が運動会でしたね^^
今でも「天国と地獄」や「道化師のギャロップ」「クシコスポスト」などの曲を聞くと体がうずうずしてきますね(笑)
中学校になってもほぼほぼ同じような状況でした。
クラス内の生徒も半分以上は小学校からの友達だったので仲は良く、学級委員や室長など何かしらしていたと思います^^
サッカーは相変わらずキーパーをやっていましたが、身長はやはり大きく伸びておらず、背の順では真ん中よりも前の方に位置していた感じですね。
今思えば、小~中学校の頃が一番自分らしく、充実していた時期なんだと今振り返って思います。
友達が1人もいなかった高校3年間
高校に行ってから性格が大きく変わります。
周りは知らない人だらけで、自分から話しかけないと友達ができない状況の中、初めて自分が人見知りだった性格を知ります。
結局自分からまったく話しかけることができず、友達のいない3年間を過ごすことになります。
一応高校でもサッカー部に入っていたのですが、そこでも友達はできず、学校に行ってただ家に帰るだけの生活を繰り返していました。
そして、そのころの友達はスーパーファミコンでした。
(RPGが好きで、ドラクエやファイナルファンタジー、ロマンシングサガなどやりこんでいました^^;)
家に帰ってきたら、ひたすらゲームをやっていたように思います。
普通なら友達と学校の帰りにどこか寄り道して帰ってくる日があってもよさそうなものですが、1日としてそんな日はありませんでした^^;
(あとで母親に聞いたら「この子ダイジョブやろか??」と心配されてたようです^^;)
自分の中では高校の3年間を「空白の3年間」と呼んでます・・
2浪の末、志望大学に合格
わたしは高校3年間で大きく性格を変えてしまい、その地元の雰囲気に馴染めない性格になってしまいました。
そんな状況が嫌で、大学に入ったらどこか違う場所で生活したいという思いから、親にお願いして「1人暮らしがしたい」とお願いします。
そうしたら父親から「狙うんだったら高いところを目指せ!」ということで、その時の目標が早稲田か慶應でした
文系を目指していたのですが、その時のわたしの偏差値はというと・・、3教科で偏差値45という目も当てられない状況。
こと国語に至っては偏差値「38」という絶望的な数字でした。
もちろん、早慶はそんな生易しいものではありませんでた。
現役の時に早慶のほとんどの学部を片っ端から受験させてもらいましたが、見事に全落ち・・
やむなく浪人生活が始まりますが、1浪目も思ったように成績を伸ばせることができず(この時で偏差値52~55くらいだったかな)
早慶どころか明青立法中すら受かることができませんでした。
(今なら「GMARCH」というのかな?)
もうあとがないわたしは、土下座して父親に「もう1年だけ浪人やらせてください」と懇願しました。
承諾してくれた父は、「だったら受験勉強も中途半端にせずに予備校にしっかり入れ」、ということで、河合塾の寮に入れてもらいました。
(親にとってわたしは本当に金食い虫でした・・)
ここで、同じ目標に向かって切磋琢磨する環境の素晴らしさを知ります。
(ここでの経験が投資スクールへの考え方にも反映されています)
そしてようやく2浪の末、念願の早稲田大学に合格することができました!
わたしは本当に凡人なので、ビリギャルのように1年勉強しただけで志望校に受かるようなことはできませんでした。
ただ、継続していなければ、このような奇跡(わたしでも早稲田に受かる)を経験することも出来なかったわけで、この2年の浪人生活は今の自分の大きな糧になっています。
ここからわたしの人生は再び大きく動き出します。
友人・環境に恵まれた大学4年間
高校の3年間は友達が1人もいなかったので、その反動から「大学ではぜひ友達をたくさん作りたい」と思っていた時に、入学前のオリエンテーションが開催されました。
そこで友達が出来たらいいなと思っていたのですが、そう簡単に人見知りは治りません・・
講師の話そっちのけで、「隣に座っている人とどうやって話そう・・」とず~っと考えすぎて、頭に血が上って顔が真っ赤になっていたことを、後になって友人にからからかわれるほどでした(笑)
どうしても話しかけることができず、オリエンテーションが終わってしまいます。
「やっぱり俺はダメな人間だな・・」
「大学でも4年間友達が出来ないのか、俺は・・」
と、諦めかけてその場を離れようとしたところ、1人の学生が「今からみんなで昼ごはん食べに行こうと話しているんだけどよかったら一緒にどう?」と声をかけてくれました。
この彼がのちにわたしの大親友になる人物なのですが、この時に声をかけてくれたおかげで、わたしの大学生活が非常に充実したものとなりました。
逆にこの時に声をかけてくれなかったらと思うとゾッとしますね^^;
ここからこの友人とサークルや授業などを一緒に参加するようになります。
そして、またこの友人が自分にないものを全て持っているような人物でした。
誰とでもすぐ仲良くなり、大学の成績も優秀、サッカーの全国大会経験者という運動神経の良さで、なんといっても女性からモテまくっていました(この部分が一番憧れだったかな(笑))
自分はこの友人に金魚のフンみたいにいつもくっついて動いていました。
そのおかげでたくさんの友達が自分にもできるようになりました。
(完全に他力本願でしたが・・)
ただ、大学でできた友人は何事にも代えがたい一生の宝物になりましたね。
選択肢のなかった就職先
楽しい大学生活ももうすぐ終わりに差し掛かっていました。
大学3年の後半になると、「就職活動」という来てほしくなかった時期が迫っていました。
仕事なんてホントしたくない・・
「一生、大学生活が続いたらなんて幸せなんだろう・・」
「明日起きたら大学1年生に戻っていたらいいのに!」
・・と、この頃はいつもこんな情けないことばかり考えていました。
しかし時はお構いなしに進んでいきます。
そして、私は覚悟を決めどんな仕事をしたいかと考え始めました。
真っ先に頭に浮かんてきだのは「営業だけは絶対に嫌だな・・」というネガティブ感情でした。
ご存知のように私は超が付くほどの人見知りで自分から話しかけることができません。
ただ、わたしは大学の3年間ロクに勉強もせず、資格勉強などまったくしていませんでした。
結果、わたしには「営業」という一番避けたかった選択肢しか残されていませんでした。
(嫌ならその前にちゃんと対策しとけよ、という話なんですけどね^^;)
何十社と面接受けた結果、都内のとあるベンチャー企業からようやく内定をいただくことになります。
営業力を買われて立ち上げに参加(この頃に投資を初めて行う)
就職したベンチャー企業では新卒がわたし1人しかいないという状況で、研修もなにもなく、いきなり「じゃあ今からここの会社に行ってきて」と営業経験もない自分にいきなり指示される始末。
「こんなところでやっていけるんだろうか・・」と思いつつも、売上を上げているトップ営業マンに同行させてもらいながら営業トークを盗んでいきました。
そして入社して9か月が経った頃、中途入社ばかりの50名ほどいた営業の中で、新卒1年目が月間売上の第2位を獲得することができました。
これはホント嬉しかったですね。
そんな中、ある営業先で新たな出会いがあります。
その営業先でわたしが販売の営業をその方に行っていると、
「君、凄くいいね!」
「今度新しく会社を立ち上げようと思っているんだけど、一緒にやらない?」
と、いきなりの逆営業を受けてしまいました。
「いきなり何だこの人は・・?」
と、最初は思いましたが、半年間ほどその方と何回かお会いしながら事業の話を重ねていきました。
もともと、わたし自身も独立志向があったので、経験のためにも新しい会社でお世話になる決意をしました。
立ち上げの時期は朝は始発で通って帰りは終電で家路につく、というのが当たり前になっていました。
ただ、充実はしていたので苦ではありませんでした。
そのかいあって、会社の売り上げも順調に伸ばし、社員も増えて、会社は軌道に乗り始めました。
一方で、投資を初めて行ったのもこの頃でした。
仕事の方が少し安定してきたのを機に、投資を始める時間も自分の中で作るようにしました。
始める前におおよそ50冊の本を読んで、株式やFX、日経225先物などいろんな投資の勉強をしました。
「これだけ勉強したら勝てるだろう‥」と証券口座を開設して、投資を始めていきました。
ただ、そんなに簡単に勝てるわけもなく、小さく勝っては大きく負けるの繰り返しでした。
結婚式直前に破断に・・
仕事で少し軌道が乗り始めたころ、大学時代から5年ほどお付き合いしていた彼女と結婚することになりました。
それぞれの親への挨拶、両家の顔合わせ、式場の日取り、参加者への招待状配布、遠方からのホテル準備、バス準備、全ての準備が整いかけた式2週間前のある日、彼女から1本の電話がかかります。
「ごめん、やっぱり結婚できない・・」
自分は、何を言われているのか一瞬理解できなかったのですが、数秒してから沸々と怒りが湧いてきてしまい、「それやったらもういい!なかったことにしよ!」と突き放してしまいました。
そこで「もう少し冷静になって考え直してもらえないかな?」の一言でも言えてれば状況は変わっていたかもしれません。
ただ、その時の自分には心の余裕はなく、相手を思いやる気持ちをもつことができませんでした。
結局、彼女がなぜあの時そんなことを言ったのか、真相は聞いていませんが、おそらくマリッジブルーだったことが予想されます。
それもその大きな原因がわたしにあったのだろうと思います。
わたしはその時にFXや日経225先物のトレードに一喜一憂していたトレード劣等生でした。
負けると機嫌が悪くなったり、ソワソワしながら価格のチェックをしている。
今振り返れば本当に最低なやつでした。
そんな姿を結婚直前に見せられて、「本当にこの人と結婚してもいいのだろうか?」と思われても仕方ないですよね・・
今になって思えば完全にわたしが原因だったのですが、当時はそんなことを考えらえる程心も広くなく、相手に対してネガティブな感情を持っていたと思います。
とそんなとき、同じくらいの時期にもう1つわたしの人生で大きな出来事に遭遇します。
3年ほど務めてきた会社なのですが、実は一向に給料が上がっていませんでした。
わたしだけではなく、ほとんどの社員は入社時に社長と話していた内容が守られておらず、あるとき一斉に社長に問い詰めると、会社のお金を使い込んでいたことが発覚。
いわゆる「公私」でいうところのどちらも、地獄に突き落とされるような経験をいっぺんにしてしまいました。
しばらくしてその会社も辞めて、ここから2年ほどしばらくはその日暮らし状態に突入していきます。
ネット広告運用で独立に
しばらくは抜け殻状態でした。彼女を失い、仕事を失い、お金を失い、ほんとうに生きている意味を感じなかった日々でした。
「このまま消えてなくなったら楽になるのかな・・」とさえ考えたこともありました。
この頃は大学の友達が命の恩人になってくれました。
常に誰かが隣にいてくれました。
後々聞くと「本当に死んでしまうんちゃうかと思ってたわ」と言われるくらい負のオーラが漂っていたようでした^^;
そこから何気なく本屋さんに入って手に取った本の中に「全ての事象は自分が引き起こしたこと」
自分が本当に望んでいるのなら、行動が自然に伴い自分の願望もかなう、といった内容のものでした。
この内容を読んだときに、一気に頭に衝撃が走ったように思います。
今までは起こる現象を全て他人のせいにしていました。
そうではなく、今までの現象は全て自分が引き起こしていたもの。
だとしたら、自分が本当にしたいことは何だ?と考えるようになりました。
この辺りからいわゆる自己啓発系の書籍を読み漁りました。
お金がなかったので、図書館で借りまくって読んでいました。
そこからまずは自分がやりたくないこと
・営業はしたくない
・人に雇われたくない
・・・
など、列挙していきました。
そこから初めてネットビジネスの世界を知ることになります。
このころは「SEO(セオ)って何??」というくらいの幼稚なレベルでしたが、少しずつ勉強してネットビジネスを習得していきました。
中でも、インターネット広告を使った集客スキルを学んでいきました。
夜間のデータ入力のバイトをしながら、日中にネットの勉強をするという生活を続けていました。
そしてそのネットビジネスで少しずつ収益を上げることができるようになりました。
この仕事のおかげで下記のような経験もさせていただきました。
元プロ野球選手の講演会集客担当
ラジオ出演
そして、この頃に今の妻と結婚をしました。
この頃は人生の中ですごく順調な時期でした。
広告アカウントの停止のより窮地に
結婚もして仕事も順調だったころにある事件が起こります。
ある日、私が運用しているアカウントが軒並みアカウント停止になってしまったんです。
(yahooやgoogleなどで広告を出す際にそれぞれアカウントを開設して広告運用していきます。そのためアカウントが停止になる事は広告が出せないことと同義になります)
理由をyahooやgoogleに問い合わせても教えてもらえず、アカウントも復活できなくなってしまいました。
アカウントが停止するというのはクライアントにとっては死活問題。
広告が出せず集客が出来ない状態なので、ビジネスができないと同じこと。
考えるだけで恐ろしいことですが、
「クライアントからすれば、理由いかんに関わらずアカウントを停止させてしまう運用者に任せることなんて出来ない」と思います。
まもなく、契約があった数社から解除が告げられ、一気に広告運用としてのビジネスが立ちいかなくなってしまいました。
ちょうどそのころ、妻のお腹の中に新しい命を授かったところでした。
ここでもう一度、別のネットビジネスを始める選択肢もあったかもしれないですが、それで収入が確約できるわけでもありませんでした。
ここでわたしはもう一度会社員に戻るという決断をしました。
真剣に投資を勉強し始める
10年ぶりぐらいに会社員に戻ったわたしは、乗りたくなかった満員電車に乗り、1時間もぎゅぎゅう詰めの車内に閉じ込められ、着たくもないスーツを暑い夏でも着用し、履きなれない革靴で毎日を勤務するという生活になりました。
この時期はまたネガティブな自分が出てきて、
「ホント、俺っていつも何やってんだろ・・」
「せっかく良くなったとしてもまたこうやってサラリーマンやってるって、俺ってホントダメ人間なんやろな・・」
と、しばらくふてくされた生活を送っていました。
そんなある日、久々に友人と飲む機会がありました。
その友人は投資で月に数十万円を稼いでいました。
そんな彼に自分が過去に投資で大失敗したことがある経験を話すと、
「それは投資との付き合い方が悪かっただけだよ」
「でも9割の人がそれがわかっていない」
「その付き合い方を少し変えるだけで投資は勝てるようになるよ」
といわれました。
その話を聞いた直後は、正直なところ受け入れがたいものでした。
だって、自分なりに投資の本を50冊以上読んで勉強したし、
エントリーの方法だって覚えたし、チャートの読み方だってわかってきていたのに・・、それでも勝てなかったんです。
だからこそ、その時のわたしは、
「投資は怖いものだ、投資なんてしたら人生狂わされる」
「投資は一部の才能のある人しか成功できないもの」
こう考えていました。
これだけやって勝てないんだから、この先いくらやっても勝てるわけないよ・・
という悲観的な思いしかありませんでした。
ですが、そこでわたしは「投資を学ぶ」というところで、根本的な間違いを犯していることに気づかされました。
結論からいうと、これまではいわゆる「手法」のみ追いかけていたことが最大の敗因でした。
ある特別な手法がこの世には存在していて、それさえ身につけることができれば勝てることができる。
そう考えていろいろな手法を試しては勝てず、また新しい手法探しの旅に出る・・その繰り返しでした。
ですが、それでは勝てないということをこの友人の話を通して初めて知ることができました。
投資に対する一筋の明るい光が見えた瞬間でもありました。
そこから投資に対する嫌悪感が少しずつ変わっていきました。
私はもう一度イチから投資を勉強することを決意しました。
その中で自分が考えたこととして
・独学で頑張っても違う方向に行ってしまう可能性が高い
・信頼できる人に教わりたい
・自分でもできそうなシンプルな投資手法
・損切がきちっとできる方法
・長期的に継続できる方法
・ただ投資生活に毒されたくない
これらを自分の中で掲げ、それに見合った投資スクールを見つけることができました。
そしてそこから、今の私のスタイルの礎となった
・投資手法
・資金管理
・メンタルコントロール(心理学)
この3つのポイントになります。
利益が安定し始める
上記のスクールに入って、私は手法だけではなく、資金管理の仕方や心理学の勉強を行うようになりました。
(この頃は、投資系よりも心理学系の書籍をよく読んでいたと思います^^)
そして、いきなりトレードを始めることはせず、まずは検証を繰り返していき、教えてもらった手法は本当に有効性があるのか、自分自身で確認する意味も含めて行っていきました。
今思えばその検証が今の自分のトレードの自信につながっているのだと思います。
検証
⇒デモトレード
⇒少額資金でリアルトレード
⇒自分が狙う目標に見合った資金でのトレード
このように段階を追ってトレードを行っていたことも良かったのだと思います。
ここからわたしのトレード成績は安定して利益を出せるようになっていきます。
そして何より、今までとは比べ物にならないくらいメンタルが安定して、トレードができている自分に逆にびっくりするような感覚でした。
これが「投資で安定して勝てるようになる状態なんだ!」と、ここでわたしの投資スタイルが確立した瞬間でもありました。
友人知人に教えることの楽しさ、嬉しさを味わう
そんなある日、わたしはまた別の友人と飲む機会があり、楽しくお酒をたしなんでいました。
そして、ひょんなことから投資の話になった時に友人から、
「俺さあ過去にFXやったことあるんだけど、大負けしたことがあってさ、そこから投資が怖くなってきっぱりやめたよ」
「結構高額なスクールに入ってみたけど全然意味なかったわ・・」
「FXって一部の限られた人しか儲けられないものだよな・・」
この言葉を聞いてわたしはハッとしました。
なんと、数年前にわたし自身が別の友人に話したことと全く同じことをこの友人が話していたんです。
そこから、実はわたし自身も全く同じ経験をして、そこから何を学んで、どのように投資に取り組んでいったか、という話を友人に伝えました。
そうすると「頼む!ぜひそのスタイルを俺にも教えてほしい」と懇願されました。
わたし自身、その友人には随分とお世話になっていました。
その恩に報いるためにも、わたしはイチからその友人に教えることにしました。
こういうのもなんですが、この頃から内容に関してはそれなりに自信がありました^^
習得のスピードに違いはあれど、おそらく誰に教えても成績を上げることは可能だと。
それくらいの再現性があることも自負していました。
ただここから教えたとして、半年後くらいに安定した利益が出るようになってきたら十分かな、という感じで教えていきました。
そしたら、その彼はなんと2カ月も経たない期間で早くも安定した利益を出せるようになりました。
この事実はわたしにとっても嬉しい誤算でした。
もちろん、彼の投資に対する姿勢が素晴らしく、全ての取り組みに対してこちらがお願いしていたこと以上に実践してくれたことが大きいと思います。
しかし、こんなに早く結果を出してくれるとは予期しなかったので、大変喜ばしいことでした。
そこからしばらくして、その友人と飲みに行ったある時、
「いやぁ、改めて、教えてくれた内容はすごいわ!」
「俺が勝てるようになったのが今でもホント信じられんわ(笑)」
そして次の一言、
「これ、はじめから知ってたら他の詐欺的なスクールにもハマることもなかったのにな(笑)」
この一言を聞いて、わたしの心は大きく揺れ動きました。
「そっか!自分やこの友人以外にも困っている人って実はすごく多いんじゃないのか?」
「世間では投資を真っ当に学べる環境がまだまだ整っていない」
「きちんとした環境があれば学びたいと考えている人が世の中にはたくさんいるのではないか?」
このように考えるようになり、
ここから「正しい投資知識をもっとたくさんの人に伝えたい」
たくさんの方がきちんと投資を学べればと思い活動を決意しました。
2021年に独立して投資を教える活動を始める
上記の思いが強くなった2021年、わたしはもう一度独立を果たしました。
以前は独立したいから(会社員から逃れたいから)何かビジネスを探す、ということをしていましたが、今はやりたいこと(正しい投資知識を広めること)があって、その結果独立という形になりました。
考えてみると人に教えたいという気持ちは、実は自分が昔から(小中学校の時から?)潜在的に持っていたものなんだと最近思います。
人に教えることによって、自分もやりがいがあるし、その結果教えた人が喜んでくれるのなら、こんな嬉しいことはないです^^
ある意味、40歳を過ぎてようやく本当に自分がやりたいことが見つかったようで、とても今は充実しています。
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ここまで長いプロフィールをご覧いただきありがとうございます!
こう改めて振り返ってみると、ホント浮き沈みの激しい人生を送っているなあとしみじみ思います^^;
よくわたしに「榊原さんは才能があったから成功したんですよね。」とおっしゃっていただけることがあります。
そういっていただけるのはもちろん光栄なのですが、このプロフィールを見てもらうと、わたしが才能もなにもないただの凡人だということがよくわかると思います(笑)
受験でも、投資でも、仕事でも、結婚でも失敗を繰り返している人生です。
ただこんな失敗だらけの人生でも、「こうやって生きてるやつもいる」、と思っていただけるとありがたいです^^
最後に、投資は才能ではなく技術職ですよ、ということをお伝えしています。
投資の勉強は不可欠ですが、正しい投資知識を学べば、誰でも勝つことが可能です。
凡人のわたしができたのですから、皆さんにも必ずできます^^
そして「これまでなぜ勝てなかったのか?」、という部分をわたし自身があらゆる経験をしているつもりですので、あなたが今投資で悩んでいる内容に、おそらくほとんど答えられると思います^^
ぜひ1人で悩まないで、わたしに相談してくれれば嬉しいです。
ここまで長いプロフィール文を読んでいただきありがとうございました!